ある保育士の先生が こんなことを つぶやいていました。
「私たちのことを、こどもたちは きっと 大人になったら覚えていないんだろうなあ・・」
少し 寂しそうな表情でした。
先生というお仕事は 「想い出」を作るのが仕事です。
たくさんの体験を こどもたちとの生活の中で 繰り広げながら
こどものこころに「想い出」を残すのが 仕事です。
それ以上でも それ以下でも ありません。
もちろん こどもたちは どんどん成長し、大人になっていきます。
その中で、そうした「想い出」の多くは 忘れてしまうかもしれません。
そして 年々 多くの人との出会いを重ねていく中で
先生の名前や顔を忘れてしまうかもしれません。
それは きっと 先生にとっては 寂しいものかもしれません。
高校の担任の先生や中学校の担任の先生は 思い出せても
もしかすると 小学校1年生の時の先生
幼稚園や保育園の先生の 顔を 忘れてしまっているかもしれません。
でも
それでもいいのです。
なぜなら 保育というのは 「その子そのもの」に なるからです。
「その人そのもの」になるのです。
僕は 今 47歳ですが、
道端で クローバーを見つけたら 思わず 四つ葉を 探します。
たんぽぽが あると 必ず 手にとって 綿毛を吹いてしまいます。
テレビで 動物が出ると やっぱり 笑顔になるし 癒されます。
綺麗な花が咲いていたら あっ 綺麗だなあ と思いますし、
かわいい犬が目の前を通ると 可愛いなあと 思わずにっこりしてしまいます。
こうした思いは すべて 「想い出」が残したものです。
「想い出」が たとえ 記憶として 思い出せなかったとしても
「想い出」が 自分そのものに なっているのです。
先生が残してくれた「想い出」は、 自分そのもの なのです。
保育士の仕事は 「想い出」を超えた
「その子そのもの」に なるのです。 (げんき)
「想い出」は、覚えていなくてもいいのです。
なぜなら もう 忘れることは ないから 。(げんき)