保護者からのご相談をお受けしていると こんなケースが見られます。
これは、どちらかに原因があるとすれば 「保護者」の方である。
といったケースです。
逆に、保育者から保護者の件で 相談をお受けしてみると
これは、どちらかに原因があるとすれば 「保育者」の方である。
というケースも もちろん あります。
基本的に「○○だから 良い」 「○○だから 悪い」というものは存在しません。
警察だから正しい。 先生だから正しい。 ○○だから 正しい。
そうした「思い込み」は あまり役に立たないのです。
僕は、スクールソーシャルワーカーとして学校現場に入った際に
ケース会議に参加する中で、よく
「このケースは、本当に保護者に問題があるのか」
そう、疑問に思うことが 多々あったことを覚えています。
人というのは、話せば話すほど、その「思い込み」を強くしていきます。
『あの人が悪い』
そうした話で盛り上がれば、盛り上がるほど その「形」が出来上がっていくのです。
ソーシャルワーカーが 最初にしなければならないこと。
それは 「型を外して並べ替えること」です。
「型を外すこと」。これが 最初の仕事なのです。
一旦、このケースに関わる人の役職も年齢も 立場もすべて 取り外します。
すべて、フラットな状態にし、「○○だから」というものを全部取り除きます。
この状態を作ってから、 ケース会議であれば、「ケースの資料」を読みます。
このプロセスをやる前に、ケースの資料を読むことはありません。
そして、一つずつ 登場人物を並べ替えていくのです。
チェスや将棋や囲碁のように、頭の中にある台の上に並べていくような感じです。
「ケースの資料」というものを 無条件に読み込んでしまうと
その文章の流れの中に自然に入ってしまいます。
それは「文章」というのは、書いた人の「流れ」が存在しているからです。
だからこそ、「型を外してから読むこと」が大切になります。
本当に、保護者に原因があるのか。
本当に、先生に原因があるのか。
本当に、この人に原因があるのか。
そこを流されずに 読み取ることができるようになって
はじめて 本当の意味での「問題解決」の提案ができるようになります。
「思い込み」と「支援」。 実は 相性が悪いのです。(げんき)
「思い込み」や「しがらみ」のようなものを取り外すためには、「自信」と「誇り」が必要です。
これが「専門職」としてのアイデンティティを支えるものなのです。(げんき)