「保護者対応」
このことばを聞くと、どうしても 保育者は、一瞬 身構えてしまいます。。
おそらく、それは 「イメージ」が先行しているからです。
「保護者」というイメージが
とても、やっかいな、難しい存在
気を使わなければならない存在、要望を聞かなければならない存在。
指摘されたり、非難されたり、クレームを言われる存在。
こうしたイメージが、どこか こころの隅に隠れているのです。
これは 保育現場からの情報というよりも
世間一般、テレビやネット、メディアなどの社会からの情報。
そうした「外部情報」から強く影響を受けているからです。
でも、現代では、それは 仕方ないことかもしれません。
「保護者」というのは、「保育者」にとっては
基本的には、パートナーであり、子育てという車の「両輪」なのです。
共に 一緒に回っているからこそ、 こどもの成長という「前進」があるのです。
こどもを乗せた「車」のような存在。
それが、保護者と保育者の関係です。
問題なのは、「車」ではなく、「道路」なのです。
今は、ほとんどありませんが、、ガタガタ道であったり、
道路の幅が狭かったり、先が見にくく、危なかったり、
飛び出しや事故が多かったり、
そうした「道路環境」にこそ、注意しなければなりません。
「車」というのは、「道路環境」に注意を向けるもの。
まさに、保育者と保護者の関係も 同じです。
「保育者」と「保護者」が「車」であれば、
「道路環境」は、「社会環境」であり、「子育て環境」です。
保育者と保護者が協力して、子育て環境の中にある問題に対応していくこと。
これが、本来の正しい関係なのです。
本当は、「保護者対応」ではなく、「社会対応」なのです。
右のタイヤと 左のタイヤが揉めている場合ではないのです。
共に「両輪」として、前進していくのが 役目です。
そして、目の前に現れる様々な「子育て」の問題を 一緒に乗り越えていくのです。
「保護者対応」ではなく、「社会対応」が必要である。
だからこそ、「ソーシャルワーク」が必要なのです。
「ソーシャルワーク」は、「保護者対応」の道具ではありません。
保護者と共に「社会問題」に対応するために使う「運転技術」なのです。(げんき)
間違ってはいけません。「ソーシャルワーク」を使って、「保護者に対応する」のではないのです。
「ソーシャルワーク」を使って、「社会に対応する」のです。(げんき)