研修にご参加頂いた保育士の先生から
「元気先生、、本当に基本的なことで、スイマセン。。なぜ、保護者の話を聴く時に
傾聴しないといけないのでしょうか? なんとなくの意味は、わかるのですが、、
今ひとつ 正確には分からないんです。 教えていただけますか?」
といった内容のメールを頂きました。
「傾聴」
とても、簡単な表現ではあるのですが、
実は、かなり奥深いものです。
相手の話に耳を傾ける。
相手のこころに寄り添う。
そうした イメージで 捉えられているかと思います。
しっかり、聴く。
相手の話をさえぎらず、否定せず、しっかり受け止める。
そんな感じだと思います。
「やることは わかりました。
では、 なぜ そうしなければならないのですか?」
メールを頂いた先生のように、もう1歩 踏み込んで考えてみると
実は、その理由を正確に答えることは 難しくなってきます。
この質問自体が 実は、 奥深いものなのです。
なぜ、傾聴しなければならないのか?
それは、人それぞれ違う「考え方の回路」を持っているからです。
「考え方のパターン」
「考え方のクセ」
「考え方のテンプレート」 のようなものです。
人は、みんな「自分の考え方の回路(パターン)」で、物事を考えています。
同じ「回路」というのは 存在しません。
「なぜ、あの人 あんなこと言うの??」 そんな場面もあるかと思いますが、
理解できなくても、当然なのです。
そもそも「考え方の回路」が、違うのですから それは 当然なのです。
相手の心理を読む メンタリスト。
テレビドラマだったとしたら、犯罪者の心理を読む スペシャリスト。
それは、「相手の思考パターンで物事を考える」ということです。
相手の頭の中にある「考え方のパターン」を理解して
それに のっとって、今ある問題や物事を考えていく。
そうすると 「なぜ?」が理解できる。
相手の「頭の中」に入っていく行動。
「傾聴する」というのは、
実は 「聴く」というよりも「考える」に近いもの なのです。
もちろん、「安心感を与える」ためだけに 「傾聴する」という方法もありますが、
本来の「傾聴技術」というのは「相手を導く」技術の一つです。
僕は、よく スタッフに、
「傾聴できたと思った時は、本当はできていない」
「相手の考えがよくわからない、、理解できないと感じた時こそ、
本当の意味で傾聴できている」
そう、伝えています。
「傾聴が今ひとつ わからないのです。教えていただけませんか?」
これは、「傾聴ができている」証拠なのです。(げんき)
本当に「傾聴」できると、相手の考えが理解できないといった疑問を抱きます。
それは、他人の「思考の回路」と自分の「思考の回路」は違うのだから当然なのです。(げんき)